記憶の中

ヒヌクンチュ

2011年02月18日 09:24

 おはようございます 


辺野古へ来たのは何時の頃だっただろう・・・





当時那覇の長兄夫婦の家の離れに弟と二人だけ面倒を見てもらっていたのが記憶の中にある。

当時小生は小学6年、弟は小3のときである。いろいろと事情があっての家族が皆、離ればなれの生活を余儀なくされていたのであろう。

母が辺野古にいて、初めて那覇からこの地へ弟と二人、2時間半もバスに揺られてこの地へやって来た。




揺られる中での思い出は、石川のバスセンターへ寄り数分の休憩のあと、更に北へと向かう。石川橋付近で目に入ったのが旧石川橋がチリ津波の被害で壊れた橋、さらに山と海しか見えない道路を小一時間たったころ、視界が急に明るくなり宜野座村松田の広大な古知屋潟バルの浜、その中の小さな粒状の生き物が蠢いていたのが印象として記憶にある。



沖縄公文館より

辺野古のバスセンター到着後に、母のいる間借り先に行き目一杯二人で母に甘えたことを思い出す。

その母も、一昨年97歳で亡くなり今日が命日・・・

オフクロが大好きだった「辺野古」で過ごしていけるのが「親孝行かな」と思ってます。

・・・辺野古大〜い好き!


関連記事